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諏訪流古技保存司会 創会にあたって
前会長 現顧問 室伏三喜男 

私は、2016年8月31日をもちまして日本放鷹協会の会長を辞任し、あわせて退会致しました。
また、同年12月4日に「放鷹術・諏訪流古技保存司会」を新たに発足し、同会会長に就任いたしました。
これまでの経緯、また新会発足の所信を述べさせていただきます。

 


先の日本放鷹協会は1983年(昭和58年11月3日)に宮内省・諏訪流鷹匠であった故・花見薫先生に師事し、直伝鷹匠として諏訪流鷹匠の認定を受けた田籠善次郎氏、篠崎隆男氏と私の3名で創立いたしました。

私は、花見先生に師事する以前から民間鷹匠の方と交流があり、10年来鷹の飼育・訓練に挑んでいましたが、鷹狩りはおろか飛ばすことも表をつれて歩くことすらままならないと言う状況でした。しかし、花見先生に師事し指導を受けることにより成果を挙げることができるようになりました。
私は伝統の持つ力と、伝えられた歴史的背景、そして何よりそれが今日まで1700年間人から人へ伝えられてきた事、伝えた人々が居たという事実に感銘と感謝の念を抱きました。それは、花見先生に師事した3名の同じ想いでした。
それと同時に、花見先生が正に最後の伝承者であると言うことに大きな危機感を抱き「諏訪流」継承の手段として我々3名は「日本放鷹協会」を発足させました。

そもそも「諏訪流とは何なのか?」

それにはあまり知られていない「巣鷹と網懸け」についてお話しなければなりません。
「10年来、鷹狩りはおろか鷹を飛ばすことも出来なかった」というと「何だ、お前がただ下手なだけだろ。自分は初めての年で獲物を獲った」と言う方もおられると思います。
実はオオタカには2種類有ります。今日、多くの人が扱っているオオタカはいわゆる「巣鷹・スタカ」という人工繁殖により“親鳥ではなく飼育下で人手によって育てられた鷹”すなわち人が生活する同空間、環境の中で育てられた鷹です。
いっぽう私が扱っていた鷹は「網懸け・アガケ」と言い野生下で“巣立ち後自然界で自活していた鷹(海外からの輸入)”であるという根本的な違いがあります。
花見先生が継承されていた諏訪流とは、この「網懸け」を仕込む流派です。
花見先生の処には我々以外にも話を聞きに来たと言う人は居ましたが、実際に網懸けの鷹を仕込み、先生に何度となく検証して頂いたのは我々以外には居ませんでした。
そのことで初めて民間人である我々を「諏訪流鷹匠」「後継者の火種」と認めてくださいました。
さらに「網懸け」とはどんな鷹なのかお話したいと思います。
野鳥の写真家、またバードウオッチャーの人達が間近でその姿を見ることが極めて難しいのがワシタカの仲間です。止まっている野鳥にどこまで近づいたら飛んで逃げるか、その距離で人に対する恐怖心、警戒心がどれだけ強いかということを推察することが出来ると思います。
私の経験で六十軒近い農家の集まりに参加した時、地域の田畑にノスリ、サシバ、チョウゲンボウなどを含め「鷹みたいな鳥」がいることを認識していた人は5~6人、さらにオオタカが居ると言うことを知っていたのは一軒だけでした。これは他の地域でも同様で、何世代もそこで農業をしている人が、すぐ裏の沢にオオタカが生息していることを知りませんでした。
オオタカの数が少ないからでしょうか?東京の明治神宮、都内の公園でもオオタカが生息することは知られていますが、その姿を見かけることはまず無いでしょう。人間の十倍といわれる視力で人の動きを察知して身を隠すからです。
私が、飼育下で繁殖・親鳥に育てさせたオオタカの雛は巣立ち後、餌台に止まっていて2日目までは私が近づいても逃げませんでしたが翌日・3日目に私が近づく気配を感じると、まだ充分飛べないのにあわてて逃げるようになりました。

成長と共に鷹は急速に警戒心を増します。それが自然界で生きていくために先ず身に着けなければならないことなのでしょう。さらに自然界で数ヶ月間数々の危険にさらされ常に死と隣り合わせに生きてきた<網懸け>はその姿を人目にさらすことを極端に嫌い、強い警戒心を持って人の接近を拒みます。
さらに言えば、日本国内の動物園でも少なからずオオタカが保護されていますが、150年近い歴史を持ちトキやコウノトリを繁殖させている動物園でさえオオタカの繁殖はおろか、健康な状態で数年以上飼いつづけることすら出来ていません。これも飼育環境になじまず、人に対して強い警戒心を持つが故と言えます。「網懸け」とはこのような鳥なのです。

余談になりますが、このタカ類が持つ神経質さ、警戒心の強さはどこからくるのでしょうか。
私は、二つの要因があると思います。
一つには、カモ類は水面に居、潜る事によりタカやキツネから身を守っています。キジやノウサギは草薮にじっと動かず潜み同化することで身を隠します。キツツキは木の幹の裏側に周りその姿を隠します。これら被捕食者は敵から身を守るために逃げ隠れする術を見につけていますが、食物連鎖の上位にあるタカ類はこのような身を守る術を身につけていません。常に周囲を警戒し危険を察知したらいち早く飛んで逃げるということが唯一の身を守る手段なのです。

もう一つは、タカ類の採食行動によると思われます。オオタカ、ハヤブサにしても獲物を捕らえ羽をむしり満腹に食べ終わるまでは30分ほどを要します。一度の採食にこのように時間を必要とする鳥は他にないでしょう。
カラスは大勢集まって騒ぎ立てて採食の邪魔をします。地上では猫、イタチ、狐、狸が、ノスリはハヤブサ、オオタカが獲物を捕らえるのをどこからか見ていて、地面で押さえている獲物を横取りに現れます。のみならずハヤブサそのものを捕食することさえあります。
国土が狭い日本の里山で生活するオオタカは、獲物を採食中に農業、林業の人と遭遇することもしばしばあると思われます。人は採食を邪魔する危険な存在として千年、二千年と彼らに刷り込まれても不思議はありません。実は採食中は非常に無防備となり、命の危険さえ伴う行為と言えます。
そのため野生の鷹は、捕らえた獲物をその場で食べると言うことはせず、安心して食べられる場所に獲物を運び、常に周囲を警戒しながら採食するという習性があります。
ちなみに、鷹狩りで網懸けの鷹でも捕らえた獲物を持ち逃げしないというごく当たり前のように見える行動は、諏訪流の仕込みによって作られます。

このように、自然界で野生の経験を持つ網懸けの餌付けは夜間暗闇の中で行われます。
明るい所で雛の時から人手により餌をもらい、人のことを親や仲間と思い(刷り込みという現象)育てられた巣鷹とはまるで違います。
訓練の初期、鳥の体重を一番知りたい時に体重を量ることも出来ません。全神経を集中して真っ暗闇の中で鷹の状態を感じ取るしかありません。
明るい昼間に鷹を連れ出せるようになるだけで約一ヶ月を要します。巣鷹であれば、狩りに使えるようになっているでしょう。


諏訪流とは何かと言えば、ひとつにはこの一ヶ月にあるとも言えるのです。狩り以前に鷹を明るいところに良い状態で連れ出すことが出来るかどうか、その技術があるかどうかが諏訪流鷹匠の条件の前提となります。夜間訓練を始めてわずか一週間、鷹部屋を出るだけでその扱いが悪ければ「鷹狩りに使うことが出来ない鷹」となってしまいます。これは和食で出汁をとることに失敗したらその出汁は他の料理のベースとして使えないのと同じことです。
諏訪流では、一連の訓練を「懐(なつ)ける、仕込む、使う」とします。この「懐ける」の段階を超えることが出来なければ次に進むことは出来ません。
花見先生が我々3名を認めてくださったのも、この前提を乗り越えることが出来たからともいえます。

皆さんに諏訪流の奥義をお教えしましょう。それは魔法のような特別な訓練法があるのではありません。これは巣鷹にも言えることですが、網懸けの場合さらに<忍耐強く、細心の注意をはらい鷹と向き合う>ということです。
それにより野鳥の中でもとりわけ警戒心が強い野生の鷹が、数ヵ月後には人との信頼関係が築かれ行動を共にするようになります。
「人鷹一体」とは、花見先生が我々に残された詞です。網懸けの鷹と一体になる、その方法論、経験と智慧が諏訪流であり、それを築いてきたのが諏訪流鷹匠です。
しかし今日、諏訪流伝承に大変な危機が訪れています。「網懸けの鷹」の入手がほとんど困難になってしまったということです。技術的指導は師匠から受けますが、それが正しいのか誤っているのかの答えを出してくれるのは、もう一人の師匠といえる鷹そのものです。
その師匠(網懸けの鷹)の教えを受けることが出来なくなってしまうということです。
じつはここからが重要なポイントです。
今日、我々も人工繁盛したものを手掛けなければならないのですが、その時
A・巣鷹だから巣鷹のやりかたでよい、獲物が取れているからそれで良い、とするのか
B・巣鷹であっても網懸けと同じ諏訪流としての手順を踏んで訓練をするのか
ということです。
もちろん私(当会)が目指すものはBの「巣鷹であっても網懸けと同じ諏訪流としての手順を踏んで訓練をする」です。
ただ獲物をとりたい、スポーツとして楽しみたい(イギリスでは鷹狩りは王のスポーツでスポーツの王だと言われている)というのであればAの巣鷹で何の問題はないのですが、私が鷹の飼育訓練をするそもそもの理由が「獲物をとって楽しみたい」ではなく「諏訪流の手法・理念を後世に伝える」ことにあります。
その想いで私は「日本放鷹協会」に関わってきましたが、昨今協会内に於いても巣鷹しか知らぬ者ばかりとなり、当初の想い、本来の目的を理解することなく獲物が取れたという現象のみを重視し、諏訪流というのは名ばかりで他者との明瞭な手法の違いがなくなってしまいました。
獲物が獲れたから諏訪流ではありません。獲物自慢、数自慢ではなく「諏訪流としての仕込みがなされた鷹で獲物を獲る」そのことが「伝承された技術を継承する」と言うことであり、私(保存司会)が鷹狩りを志す目的はそこにあります。

今回、諏訪流古技保存司会を新たに発足しましたが、新たにというより放鷹協会発足当初の理念に立ち返るということです。
また「保存司」としたのは「保存を司る」という意思の表明です。

ながながと記しましたが本会の理念、目的を御理解頂き、皆様の御支援を賜ることが出来れば幸いです。

*網懸け、巣鷹について記してきましたが、どちらが上、どちらが下、またどちらが獲物を取るなどという話ではありません。巣鷹は巣鷹ゆえの網懸けにはない難しさがあります。また文中にも記しました、自分はスポーツとして、あるいは純粋に鷹が好きだから飼育・訓練していると言う方もたくさんおられることと思いますが、そのことを否定するつもりは全くありませんので、誤解の無いようお願い申し上げます。


 

 

 

 

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